カテゴリ: くらしのこと

きっかけは年明けにインドに行って、アーユルヴェーダのクラスを受けたいから、
というわけで、何年かぶりにバイトをはじめることにした。

結局、年明けのインド行きは、あれやこれやで・・
福一4号機の燃料棒の取り出し作業、
もし、有事の際に少しでも西に逃げたいハハコがいるかもしれないし、
少なくともここ一年はひわさの家をいつでも使えるようにしておきたく、
で、今年はとりあえずはいつでも開けれるように自宅退避ならぬ国内退避。

バイトをはじめることにしたなんて、
よく言ったもんで、
本当は デキゴコロ に一番近い。

久しく、社会というものの真ん中の、
お給料をもらって働くこと、から離れていたので、
面接のときも、奇跡的に来てくださいと言われた時も、
さて、どうやってこの現実から逃げ出そうかと本気で考えていた。
『ああ、かみさま、軽はずみに面接を受けてごめんなさい。どうかどうか、なかったことにしてください。行けません。無理です。わたしには無理なんです。。。』
と、こころの底から願ってみたり…。

初出勤の日は、予想どうり朝から具合が悪くなり、
10分程度の通勤中に2回もコンビニによってお手洗いをお借りした。。。
キョクドノキンチョウ・・・である。。。


だけど、結果、
ナンテコトナイ・・
あたらしい仕事はとてもとても楽しかった。
楽しいなんて言ったら、
週3回ほど、都合の良い時間で働かせてもらっているわたしは、
とても忙しそうに日々朝から晩まで働いている職場の皆様に本当に申し訳ないのだけれど、
わたしにとっては、とても楽しくて、気持ちよく働ける仕事場。
出来ることを、やれたらいいなと前向きに思える。


わたしは、20代のほとんどが車の仕事をしていて、
そう、もう、そのころは今の暮らしなんか思っても見ていなかった。
ガソリンスタンドのバイトは高校の時から、
そしてカー用品店に努めて、愛知の豊田までいって車のことを勉強して、
職場の人たちにくっついてサーキット場に行ったり、
簡単な整備は自分で出来るようになった。
だけど結局、自分で運転したくて配送の仕事を始めた。
そう、29歳までのわたしは、今の暮らしと全く違う。

7年の間をおいて、
また、車のことの仕事に就いた。
周りには、懐かしい空気。
雑な言葉遣いやけど、
おもしろくて、優しいおっちゃん達。

ホナケンアレジャワダ、ナニィニキイタラワカルワダ
アソコニイケジャノ クソジャノイヨンジャワダ アノオッサン
ホレワインヤケンオイトッテチュウタデナイカダボケ

聞きなれた懐かしい言葉に、なんだかぐっとくる。笑

でも、言葉の裏腹に、ものすごく優しい。
ものすごく、優しい。

信じていたものが、実はすごく底の浅い愛情や友情だったのではなかろうか、
大切に思ってたけど、実は表面に浮かび上がる上澄みだったのかなとか、
そして、本当にこころから思ってた人を不用意に傷つけてしまって、
言葉って言葉だけのものしか読み取れないのかもしれないなと思ったり、
そんなことを考えていたこの頃、
なつかしい、ここちよい世界に帰ってきた気持ち。

やさしさや愛を表現できる人たちの中にいたから、
ちょっと鈍っていた内包するやさしさを持つ人たちの荒々しいこころづかい。


食べもののこと、原発のこと、石けんのこと、手づくり市のこと、
疎開のこと、震災、放射能汚染、選挙、秘密法案、あれやこれや。

良くも悪くもやけど、
そのことを真ん中におかない会話にこころが安らいだりもする。

どの位置から見る世界が、正しいなんてないのだと思う。
どの位置からも、世界を楽しめたら、それが一番なんだ。
それが、誰かを傷つけるものでなければ。


バランスって、大事だな。


こんなにふらふら暮らしてるのに、
雇ってもらえることがありがたい。
そして、それがわたしにとったら楽しい職場なんやもん。
ウッカリスッカリ病が発症して、迷惑をかけながらやけれど、
ちょっとでもいたら助かるになれるように頑張ろう、
しばらくここで、楽しく働かせてもらいながら、
そして コレカラ のこと のんびり考えようかなと思う。



 


















今日は、にこにこ市にまたかわいい友達が出展しに来てくれた。
5歳、2年生、4年生、6年生が、それぞれに思い思いのものを作って、お店屋さん。
一番ちいさい人は一生懸命作ったものたちを並べて、
『いらったいまてー、ただですー!』と通りがかるお客さんに声をかける。
遠慮してると『なー、これもらってー。ただやねん。』と持って来てくれる。
なんともかわいい。

小学生チームは本気。笑
真剣に値段をつけて、大きな声で声をかける。
『なー、売れ残ったらこれ全部ともえちゃんこうてー。』
と、どっかの誰かさんからも聴いたことのある、こどもらしいやくざ発言をゆうてくる。笑

一日一緒にいたので、ずいぶんと仲良くなって、楽しい時間だった。
ここ数年で、コドモノトモダチがとても増えて楽しいことがいっぱい増えた。


ちょっと前のことだけれど、
実家の近所のおっちゃんが亡くなった。
ちょっと前に病気が分かって、
入院してからは早かった。
あっというまに亡くなってしまった。

お通夜の席で、たくさんのことが思い出され、
懐かしい思い出に感謝の気持ちと、かなしい気持ちが合わさり、たまらなくなった。

おっちゃんは、わたしのはじめてのオトナノトモダチ。
わたしが生まれたときから近所にいて、
誕生を祝ってくれ、
成長を見守り、
はじめて自転車に乗れた時も褒めてくれた。
家族ぐるみでの忘年会や、キャンプに出掛け、
幼いころの楽しい時間をたくさんすごした。
そして、最初にわたしの夢を形にしてくれたオトナ。

設計士だったオッチャンは、
その当時「ペットショップの人になりたい。」と言っていた私の為に、
夢のようなペットショップの設計図を書いてくれた。
トレーシングペーパーという、
薄い透ける紙。
その紙に書いてくれるというだけでどきどき胸が弾んだ。
お城のようなペットショップは、
わたしの希望をそのままに、本当に夢のようだった。

そしてオッチャンは、わたしの為にシルバニアファミリーの大きな家を設計して作ってくれた。
ちいさなちいさな家具も付けて。
だから私はちいさなちいさなお洋服を作ったり、布を壁に張ったりした。
それがわたしの、初めてのお裁縫。

やがて、大きくなって、お互いの家族の在り方も変わり、
オッチャンと顔を合わしても会釈したり声を掛け合うだけになって、
でも、父が家族をやめることにしたと宣言をして家を出たとき、誰よりも怒ってくれたのもオッチャンだった。
あの時わたしは嬉しかったんだ。
味方になってくれたことに。

わたしの最初のオトナノトモダチがオッチャンだったことを思い出した。
オッチャンの好きなことを仕事にするということが、かっこいいと思っていた。
オッチャンの得意技でわたしと遊んでくれることに、あこがれを感じていた。
わたしの最初のオトナノトモダチがあこがれの人やったから、大人っていいなって思ったんだと思う。


コドモノトモダチが増えてきたから余計に思う。
子どもの目に映るわたしがしんどそうやったら、子どもたちは大人ってしんどいと思うだろう。
子どもの目に映るわたしがつまらなそうやったら、子どもたちは大人ってつまらんって思うだろう。
子どもに対して、ごまかしたり適当にかわしたりしてもすぐばれる。
子どもは、自分自身に嘘をついてる大人もすぐ見抜く。

大人らしく接するなんて無理やけど、
子どもと接するときに、ごまかしのないようにと思う。
子どもに対してではなく、自分に対して。



駐車場に残されたオッチャンの車に、まだ少し胸が痛い。
ちょっと早かったんちゃうか?

わたしが結婚したり、こども出来たりしたときに、
父親のように喜んでくれる人、オッチャン以外におらんのにな。
そんな心配、いらんかと思うけどね・・・笑


オッチャンにこころからのありがとうを込めて。














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