カテゴリ: くらしのこと

先日、
もう先月のこと、
離れて暮らす祖母が亡くなりました。

横浜の素敵な家に住んでいた祖母が、
生まれた山口のお里に住処を移すと言いだしたのは昨年の夏頃、
その後あれよあれよと言う間に山口県の周防大島、わたしが小学生の頃までは毎夏通った親しみの深い島の、古いお家に引っ越した92歳の祖母。
年明けには母とともに所縁の地を回る旅行に行き、美味しいもんをたくさん食べ、たくさん歩き、おばあちゃんはほんまに元気だわー。と感心していたそのすぐ後、
祖母の癌がわかったのは2月の末、そして夏までもたないと言われました。

治療もしない、もちろん手術もしない、生まれたお家で最期の時を過ごすと決めた祖母、
それからというもの、娘たち従兄弟たち、祖母を慕う友人や友人の子どもや孫、もちろん親戚縁者、60名を超えるたくさんの人が瀬戸内海のちいさな島の祖母の元を訪れたそうです。



わたしも仕事のお休みに、北海道に住む姉と合わせて、ほんの短い時間、お見舞いとお別れの時間を過ごしてきました。

わたしは家族思いでもないし、血縁ということに重きも置いてなく、おばあちゃんっ子でもなければ、度々訪れることも、祖母孝行なんてしたこともなく…。


だけれど、そんな孫のわたしの訪問にも祖母はいつも通り暖かく、わたしの旅の話しを楽しんで聞いてくれて、とにかくともちゃんが楽しかったらいいのよと、それだけを伝えてくれた。


そし別れ際に、それは最期の別れ際で、
そしてそのことを、
これが最後のお別れだろうことを、わたしも、おばあちゃんも知っている。

そんな別れ際に、祖母はハグをしてくれました。
この頃はいつもお別れにはこうすることにしているのよと言いながら、

『ともちゃんの幸せを祈っていますからね。』

と、それだけ伝えてくれました。
帰り道、なんとも言えなく涙がとまらなかった。


子どもを産まなければわからないよーと言われる無条件の、無償の、あったかいでっかい愛、わたしには一生わからないと思っていた愛。
そういう愛があるんだなと初めて、感じた。
そんなあったかい、あったかいハグ。
そしてそれはやはり最期のお別れとなりました。
関わった沢山の人に、お別れの時間と言葉、
覚悟の時間をくれた祖母。



しあわせってなんだろう。
結婚してること?
こどもが、家族がいること?
好きな仕事をしてること?
お金に困らないこと?
健康であること?
自分のことを好きだと思えること?
無私無欲なこと?
悪を見て嫌悪せず、善を見て愛慕せず、平穏で安穏なこころ?
わたしのしあわせってなんだろう。


そうして、わたしは41歳になりました。
人生の時間が、
もちろんそれは誰にもわからないのだけれど、例えば80歳としたら、はんぶん。
はんぶん終わって、あとはんぶん。

だけどはんぶんの間に、
東京に住み、イギリスに住み、また東京に住み。
実家に帰ってみたと思いきや、
宮古島の、そのまたちいさな伊良部島に住んでみたり、
全国各地津々浦々、行商の旅に出たり、
あの震災があって、
そして100組近くの母子とひわさの家で暮らしたなあ。
あの3年はぐるぐるざわざわする3年だった。
久しぶりの仕事をはじめ、大型免許をとり、オンボロトラックに乗ってあっちこっち走り回っていると思いきや、
自宅でちいさい人たちを預かり子どもたちの育ちを楽しんで見守ったり。
その間にいろんな国を訪れて、
歩いてしゃべって、風と匂いと味を感じてきた。
テレビので観れるいろんな国の暮らしから想像はできる。
でもあの空気や風、味、気配、触れ合うことからしか得られないものもあるんだ。

そうやって仕事も暮らしも住む場所も、
沢山の沢山の経験をさせてもらって、
えっと?これは今世のことなのか?はたまた前世のことだったのか?と思うくらい。。
もうほんと、よくわからない。。笑
出会いも別れも、いったいどれだけの暮らしに触れて感じて関わって、人生はんぶん生きてきたのだろう。

それだけで本当にありがたいはんぶん◯


そしてわたしがはんぶんの間に得たものは、
自由なこころ。
40歳になって、
二種免許を取ってバスの運転手さんになりました。
そしてバスの運転手さん仲間に居場所をもらって、
今度はバイクの免許も取りました。


40歳にしてはじめた新しい仕事で、
また新しい出会いがあって、
今までひとり旅ばっかりしていたわたしが、職場の同僚と旅に出るということをしてみたり、
それはそれは楽しかった◯
そしてこれから先の予定もたくさん。


おじいちゃんおばあちゃんから繋いでもらったちいちゃいちいちゃい命は、
沢山の人に出会って、
沢山の人から学んで、
経験から感じて理解して、
ゆっくりゆっくりゆっくりだけれど、
はんぶん。
そしてこれから、
わくわくうきうきすることに素直に、
ますます自由にしあわせを受け入れていこうと思うよ。


ありがとう。
今まで出会ってくれたたくさんの人たちに。
わたしに考える時間と、悩みや葛藤を経験させてくれた人たちに。
そしてだけど、こんなわたしと付き合ってくれる人たちに。

ありがとう大好きラブ♡
グローバルな視野を得たつもりになりながら、
しかしthe ド・ローカルなバスの車内に一喜一憂している41歳のわたしをこれからもよろしく♡

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仕事を辞めてインドに行って、
それから、
それから、
今まで、働いているとなかなか出来なかったこと、やりたかったことに向かっています。

いちばんは季節のあれこれを使った手のかかる料理。
例えば山椒の実を枝から丁寧にはなし灰汁抜きしてちりめん山椒にすること。

そんな誰でもできる当たり前のことが、なかなか出来なかったなーと思う。
毎年毎年やりたいなーと思いながら、休みは寝て終わったり、
なかなか会いにいけなかった友達に会いに行ったりで、
丁寧に季節仕事とか、
いちばんやりたかった紫陽花の押し花を作るとか、
あっという間に旬が過ぎてしまっていた。

朝7時に出勤して、
あっちこっち走り続けて帰るのは21時。
そんなこと全然大丈夫だと思っていたし、
とにかく大好きな仕事だったんだなーと思う。
それはそれは恋に似ている。
大好きな仕事と、
気心知れた職場の人と、
乗りたい車と、
あっちこっち行きたいという欲望。
それを満たすために、
やりたいことを犠牲にしても、
辞めたいと思う瞬間はなかったんだな。
会いたい人に毎日会いたいんだ。
そうやって続いてきた暮らしを本当に愛おしく思っている。


ひとつの恋を手放して、
自分の暮らしにようやく向き合えるようになったら、
山椒のとか、
ふきとか、
破竹とか、
ものすごく地味だけど、
やりたかった季節の仕事に向き合えるようになった。
そうして今度は暮らしに恋をして行くんだと思う。
大好きな友達に会える時間と。



友達が何かの投稿に上機嫌と中機嫌と不機嫌のことを書いていた、
走り読みやけど中機嫌は人によって自分の機嫌が変わる人、
上機嫌は自分で自分を楽しくできる人みたいな内容だった。
わたし、全く常々上機嫌な人やな。笑

自分の機嫌は自分でとれる。
だいたいはほんとうにいつも楽しくやっている。

人に怒ったり、
まったくもうー!ってオラオラ思ったり、
なんじゃほりゃーと思ったり、
もしくは、え、なんでそんなん悲しいすぎるやん。。って人のことにしーーんとなることもある。

もちろん、
相手との関係で、
すごく悲しくなることもある。
こうしたらもっとよかったかなとも、思いやりが足りんかったかなとも、
嫌われたくないけん頑張ったけど、
伝えれんかったな。伝わらんかったな。とか。

でも。
相手のこころは相手のこころで、
わたしのこころはわたしのこころなのだ。
思い悩んでも仕方ないんだよな。


とにかく、だから、
日々の幸せに向かおう。
そういうのに、
季節の仕事はほんとうに楽しいことだな。
そして友達との時間は。

と、ここ数日友人宅にわたりあるき、
そういう幸せに浸れた時間でした。
ありがとう。
そして愛おしい人たちがどんどん増えて行くことがまた幸せだよ。
そんな6月8日。






大好きな高山なおみさんの読書記に紹介されていた、
吉田篤弘さんの『それからはスープのことだけを考えて暮らした』
この本がこのインド旅のおともでした。
することのないパンチャカルマ中に何回も読んだ。
そして食の限られたパンチャカルマ中ににスープの香りを思い出して何度となくお腹がなった。

スープは食事のおとものようであって、
でもそれだけで主役になれる。
食事の最初に食べるスープがあったかくてときめくような美味しさだと、
その後のどんなごはんも美味しく感じるし、
食欲の少ない時はそれだけでメインディッシュにもなる。
ひわさの家でもメインがけんちん汁豚汁ミネストローネとスープの日も多かったなー。けど子どもたちは喜んでお代わりしてくれた。大鍋にたっぷりの滋味深いスープ◯

わたしは食欲にムラがすごくあって、
食べれない日も時々ある。
だけどそれこそ冷蔵庫にあった野菜と、ちょっといい塩、レンズ豆か押し麦、または蝶々のペンネをちょっと入れて休みの日の朝ごはんスープを作ると食欲が戻ったりする。
だからスープ作りは欠かせない。

パンチャカルマの施設でも
毎夕温かいスープが出されて、
化学調味料のもちろんない、
野菜だけの薄味の優しい風味のスープなんだけどこれがほんとうになんとも美味しくて、
食事は減らしてもらいながらだけどスープをお代わりする日が幾度かあった。

なにが、いったい、この中に溶け込まれているんだろう。
たくさんの野菜と、時にトマトそしてミルク、そしてクリアなスープを、ベースは違えどスパイスや野菜の種類、香草の種類で毎日味が変わって日々飽きずにいただけるスープ。
スープが、ギーで具合の悪い日も気持ちも身体も温めてくれた。
スープは暮らしを豊かにする。
そしてわたしもスープのことを考えて暮らした3週間だった。

味噌汁、ミネストローネ、クラムチャウダー、世界中にいろんな風味のいろんなスープがある。
世界各地どんなテーブルでもスープは日々を温めてくれる。

出汁と塩加減とスパイスと具材と、
火加減とタイミングと、
考え出したらなんて奥の深い!
そう考えたらわくわくしてスープ!スープ!わたしのスープを作りたい!
うん。スープの達人になろう!
となぜかインドのはしっこで心に決めたり。笑


あったかくなるスープを作りたい。
スープのようになりたい。
と、帰りの飛行機のなかでまた考える、
スープにはじまり、
スープに終わる旅でした。。インドなのになんで?笑



スープのように、
じわじわと、
過程を楽しみ、
全てを溶け込み、
味わいぶかく、
コクがあるけど、あっさりと、
ときにスパイスもきかせて、
ときに感動を覚えるような、
だけど、忘れてくれていい。
だけどまた、ふと思い出されるような、
そんなふうに生きていきたい。




名なしのスープのつくり方

◯期待をしないこと。
◯どんなスープが出来上がるかは鍋しか知らない。
◯鍋は偉い。尊敬の念を込めて磨く。が、期待はほどほどに。
◯磨いた鍋は空のまましばらく置く。すぐにつくり始めない。我慢をする。
◯空の鍋に何か転がり込んでこないものかと、ほどほどの期待をする。
◯しかしすべては鍋に任せる。すべて、鍋が作ってくれる。
◯冷蔵庫を覗き、たまたまそのときあったものを鍋に放り込む。
◯何でもいいが、好物のじゃがいもは入れておきたい。
◯もちろん、じゃがいもでなくてもいい。これは外せないというものを何かひとつ。
◯鍋に水を入れ、火をつけると、そのうち湯気がたつ。湯気もまた尊い。
◯換気を忘れないこと。窓をあけて、ついでに外の様子を見る。
◯晴れていようが、曇っていようが、雨だろうが、スープはどんな空にも合う。
◯それも偉い。
◯やがて、じゃがいもがくずれてとける。
◯じゃがいも以外の諸君も、そのうちにとけ始める。
◯とけて、我彼の区別がつかなくなったら、それで完成。
◯本当は完成などないが、まぁ、いいや。
◯熱いうちに食す。
◯そして、冷めないうちに近所の誰それに。
◯あるいは、思い出される人たちに。面倒なら思い出すだけでいい。
◯これをスープの冷めない距離という。
◯この距離を保つのが、なかなか難しい。
◯その訓練のためにスープをつくるーというのはタテマエ。
◯ここに書いたことをすべて忘れ、ただひとこと念じればいい。
◯とにかく、おいしい!

                          ーそれからはスープのことばかり考えて暮らした  吉田篤弘ー

3年半勤めた、
大好きな職場を退職することにしました。
車を走らせるだけの仕事なんだけど、
大好きな四国の道を四季を通して走るのとのできる、本当に楽しい仕事でした。

4回目の春は、
とてもとても忙しくて、
文字通り泣きながら夜中まで働いた日も、
それでも4年目にもなるといろいろな道にも馴染んであの場所の桜は今年もきれいだなーとか、あの場所の花水木は今年もたくさん花をつけてるなーとかわくわくすることもたくさんでした。
これから美しくなる紫陽花を見れないのが悲しい。


今までしたことのないような仕事場に身を置くことは、
それまで知らなかった暮らしや生き方に触れることができ、
仕事仕事にいろんな背景やいろんな人たちが動いていることがわかることができて、日々の暮らしに感謝も深まる。
今回もまたたくさんの出会いに恵まれて、
たくさんの経験もさせてもらえて、
本当に楽しく勤めることができました。
よくしてくれた同僚や先輩たちには本当に感謝している。


辞める気なんてなかったし、
辞める気なんてしなかった。
だけど、社会というのはやっぱり厳しいもので、
ヴィパッサナに行ったり、
旅に出たり、
シミの付きにくくなったはずのわたしのこころに、なかなか消えないシミがぽつりぽつり。
嫌悪や執着をこころに溜めながら働くのは嫌だし、その中で染まってしまうのはもっと嫌。
悪意や敵意に抗ってみたり、やり過ごしたり、そういうことにほとほと疲れたので逃げることにしました。
自分以外は変えられない。
だから逃げるが勝ちなのだ。

そこにあったはずのわたしの居場所に、
戻ることが出来なくなるというのはとても寂しいことだけど、振り返らないようにしているので、新しい暮らしに進もうと思っています。


そして、
インドへ向かっています◯
今クアラルンプールの空港。
今回は南インドのケララ州、海沿いの街のちいさなアーユルヴェーダ施設に3週間滞在します。
念願のパンチャカルマを受けてきます!

パンチャカルマとは
パンチャ(pancha-) 5つの
カルマ(karma) 行為
という意味で、
身体に溜まった毒素を様々な方法で緩めて5つの方法で浄化させる身体浄化法のことです。
身体とこころは繋がっています。
パンチャカルマはこころの浄化にもなる。

39年間の汚濁がどんな風に溜まっていて、そしてどうやって浄化されるのかとっても楽しみ!
はじまりの雨の新月。
ぴっかぴかの40歳を楽しみに、
新しい生活に進もうと思うよ。
ではいってきまーす◯

満月ですね。
仕事中やけど、
雲がたくさん浮かぶ合間から、
光り輝く満月が見れました。

この満月は重要な満月らしくて、
いろいろ解決するよと言われてたので、
なんだか待ち焦がれていて、
だけど、
光り輝く満月に答えを求めてみても、
さらにざわざわするいっぽう…
あれあれそうだよな、
そうそう解決するものではなかった、
満月はざわざわするもんだよな、
ということがわかった。笑

2月からずっと、本当にもう限界ですよというような仕事量と時間。
それに合わせてここ3年患っていた思いもこじらせる出来事が続き、
ため息と一緒に涙が出ちゃう…ような、ほんとに気持ちも身体も疲れたんだよ。という日々が続いていた満月前でした。

そんな日々に自分で結論を出して、
変化を受け入れることにした満月。
受け入れようじゃないか決めたんやもん。

そして、
インドに行きますよ。
奇しくも出発日が次の新月。
3週間のパンチャカルマですっきりデトックスの予定です。
そして大きないっぽになりそうな次の新月。
あと2週間、わたしのできるだけのことをしよう。
できるだけの素直で向き合おう。
あと2週間。

満月前の昨日の言葉◯
なんと!!
うん。
卒業式をしよう。

まわりの人からでも、
状況からや環境からでも、
周りのすべてのことからでもなく、

わたしの今持ってるこころから。

手放せないのは自分の問題。
手放して旅に出よう。

たいした日記ではないが、
わたしにしかわからない大きな大きな変化の日記なので、記しておこうと思った久しぶりのブログ。

今年は庭の柿が豊作だよー。
と友人が言っていて、
そうか豊作なのかーと仕事で車を走らせながら四国各地の柿の木を見ると、
やっぱりどこもたくさんの柿がついていて、
たくさんの実のついた柿の木がかわいくて仕方のない秋です。

そんな友人のお庭からおすそ分けしていただいた柿、
今年は干し柿干せました。
冬がすこし楽しみになるね。



秋はどこを歩いてもきれいで、
仕事中立ち止まることが多い。
道ぶちの街路樹も色づいててなんとも言えない色だし、

秋の空と赤い実は似合うなーと思う。

そして毎年通る銀杏並木、
今年も美しく色づいてました。
秋っていいなー。
しあわせだなー。


そして食欲の秋◯
週末はDMを置かせてもらいにいく!という名目でおいしいもんをたくさんの食べました。



おいしい珈琲とスイーツごちそうさまでした。
お立ち寄りの際はぜひちくちくとあかり展のDMもお持ち帰りくださいね。

ああでも、食べてばっかりの週末、
全然ものづくりがすすんでませんー。。













花水月のGWの予定は
3日 高知 OHANA MARKET
4・5日 高知 黒潮町 Tシャツアート展2014
に出店します。
久しぶりの高知の端っこ黒潮町、楽しみです◎



2014-05-01-14-03-33

先月のこと。
ごく近しい友人があかちゃんを産んだ。
その、あたらしくこの世界にやってきたちいさなちいさな人に、やっと会うことができた。
昨年の夏の終わりに存在を聞いてから、待ちにまっていたちいさい人。

この人がお腹に宿り、そして出てくるまで、なんとも長い時間だった。
4人目の子どもを授かった友達の、子を身籠もり、そして育み、産む、その一連の間の、こころの移りゆく様がなんともリアルで、人間くさいほどに人間らしく、
経験のないわたしなのだけれど、そのきれいごとの全くない、子を育む人のこころの移りゆく様に、共感を覚えた。
そうか、わたしも、こんな風にいろいろな思いを重ねながら母の腹の中で育まれてきたのだなと、生々しく思い、
友人のお産に、おなかにまた別のひとつのいのちがあることと、
そうしてそれが影響してこころが動く様に、ああ、人ってなんと人らしいのだろうかと感動し、
そうしていのちが生まれてくるんやなーと、
とはいっても人ごとなので、友人のお産として客観的に見つめてきた。

もともと、子どもを子ども扱いせず、わたしの子どもというより、別個体、別個性と考え関わっているように思う友人を、
だけど、その家族が すこやかであるかいなか を大切にしている友人の、
子育て、…いやなんとなく、子育て というよりただ共存しているように見えるのだけど…
子と関わるという点から最も信頼してきた友人の、
あたらしく、子が、お腹にいる時から共に過ごすことができるのははじめてで、嬉しかった。
そしてやはり友人は、お腹に宿る子を わたしのあかちゃん 扱いしていなかったことが、なんとも面白かった。
面白いとは、とても客観的な意見で申し訳ないのだけれど。

そうして、そんな友人の出産の報告を聞いた時、ああ、ここからこの、あのおおきなハラの中にいたちいさい人の、
ひとつの人生がはじまるんだと、それはとてつもなくおおきな、それが、いのちを産むということなんだなと、思った。
なんだかわからないけれど、とてもとてもどきどきした。
お母さんってすごい。

そんな、ちいさい友人にはじめましての挨拶をしてきたのです。
ひとりの人のはじまり。
はじめまして。
わたしはあなたのことを、とても好きになると思うよ。
ながい付き合いになると思うけどよろしくね。


ここのとこ、本当に身の回りでベビーラッシュを迎えている。
多くの友人が妊婦さんで、そしてまた、驚くようなところにコウノトリがやってくる。
もう、大きなメッセージとしか思えないような、妊娠と、出産。

子が与えてくれる。
子が教えてくれる。
子が運んでくれる。

そうなんだろうな。
そこに関われることもまた、
ちいさくておおきな人に出会えることもまた、ありがたいメッセージ。

そんな運命ともいうような、
お母さんとなる人を、ほんとうに尊敬する。
どうか、すこやかで幸福でありますように。

2014-05-02-18-54-05












2014-04-15-19-01-54

4月29日牡牛座の新月。
この間の満月からこの新月まで、
なんだかこころの動き具合がいつもと違っていた。
ざわざわするとか、ふわふわするとかではなく、
ただ、イマココ に着地してものごとに向かえる、なんともまっとうなこころぐあい。
わたしには逆にこれが珍しいことで、あれま!と驚きながらも、淡々と日々を過ごした。
今までだらだらと先延ばしにしてきた、
花水月のお店のために改装したおばあちゃんの部屋の片付けを、
週に2回のお休みを早起きして使って、
石けんとキャンドルを作るようの工房にしたてなおす作業を進める。
そして、よそ様で働かせていただくようになったのでお給料をいただけるようになったわたしは、新しくキャンドルの材料を増やし、新しいキャンドルを作る方法を学んだ。
というのが、現実的な作業。

こころの中の作業も、ここ数ヶ月ふわふわしていた気持ちが、ものすごく前向きに着地したようにおもう。
これはほんとうに伝えようのない、だけど、おおきな変化。

そうして新月まで過ごした。
この間に、天体ではグランドクロスという現象が起こっていたらしい。
らしいというのは、調べたもののやはりまだよくわからない、けど、なにやら流れが大きく変わる変化の時期だったらしい。

そうして、身体はというと、
(ここから先は女性的なお話しになるのですが…)
これまた大きな変化があった。

6年ほど前くらいのこと、
新月と満月をきちんと感じて過ごすようになってから、わたしの身体は新月でおつきさまの日を迎え、満月付近で軽い排卵痛を感じるというサイクルをぴったり過ごしていた。
5年間全くくるうことなく!
これはなんとなくわたしにはここちの良いもので、満月の生理周期の女性も多いらしいけれど、
新月のリセット、デトックスを大切にしていたわたしにとっては、
新月で排出し、満ちる満月に卵を産む。
この流れがあっていたように思う。

ところがどっこい、昨年インドに行ってる間にみごとに反転してしまった。
ほぼ、遅れや早まることのないわたし身体の巡りには珍しい現象。
ああ、インド…
お月さまのちからも強いのか…
と思っていた。
そのまま満月でおつきさま日を向かえる周期でここ一年過ごしてきたのだけれど、それはなんとなくここちの良いものではなかった。(わたしの場合)
こころがざわざわする満月にざわざわするおつきさまの日をむかえるにはわたしはセンシティブすぎるのです。笑

しかし、それが先月突然一週間早まり、
そして今月、また一週間早まり、
この新月の2時間前にぴったりおつきさまの日をむかえた。
なんだろう。
ただいま、というようなしっくりくる感覚。
お赤飯を炊きたいような。笑

それが何を意味するのかわからないけれど、そしてどう影響したのかもわからないけれど、
ああ、そうか、一件落着。
もう大丈夫なんだ。
抱えてきたものを、おろしたんだなわたし。
と、思ったのです。
わたしにしかわからない、感覚の話しなんだけど。
女子の半分は感覚で出来てるから、まあいいんじゃないかなと思う。笑

という、わけですっきりしたわたしはどんどん友達に会う気持ちになって、
いろんなところに出店にいこうと思っている。
新しい、キャンドルを持って。
そして、久しぶりに石けんを、わたしはやっぱり作りたいんだという気持ち。
おばあちゃんの部屋が新しい気持ちを運んできてくれたようです。

ありがとう。
どうぞよろしくお願いします。

という、なんだか、へんなおわりかた…笑








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