2016年11月

今年は庭の柿が豊作だよー。
と友人が言っていて、
そうか豊作なのかーと仕事で車を走らせながら四国各地の柿の木を見ると、
やっぱりどこもたくさんの柿がついていて、
たくさんの実のついた柿の木がかわいくて仕方のない秋です。

そんな友人のお庭からおすそ分けしていただいた柿、
今年は干し柿干せました。
冬がすこし楽しみになるね。



秋はどこを歩いてもきれいで、
仕事中立ち止まることが多い。
道ぶちの街路樹も色づいててなんとも言えない色だし、

秋の空と赤い実は似合うなーと思う。

そして毎年通る銀杏並木、
今年も美しく色づいてました。
秋っていいなー。
しあわせだなー。


そして食欲の秋◯
週末はDMを置かせてもらいにいく!という名目でおいしいもんをたくさんの食べました。



おいしい珈琲とスイーツごちそうさまでした。
お立ち寄りの際はぜひちくちくとあかり展のDMもお持ち帰りくださいね。

ああでも、食べてばっかりの週末、
全然ものづくりがすすんでませんー。。













島からかえってから6年間、
書き溜めていたブログがHPのアカウントとかの都合でなくなってしまったので、
新しくこのブログを開設したのが4年前。

それまでのブログは、
島から帰ってからの日々のこと、
にこにこ市をはじめたころからのこと、
花水月の日々、
出店のこと、
それから震災と原発、
ひわさの家のこと、
赤裸々にこころのままに綴っていた。

なくなって、
ああなくなったんじゃな。
仕方ない。
うん。
そしてなんだかすっきりもした。
過去を溜めてもしかたないしな!と。

だけれど、
時々 アノコロノキモチ に触れたくなる時がある。
それは多分、
人生のぐるぐるの中の、
同じような出来事にぶつかるとき、
その、一段下の螺旋で、
同じような気持ちを乗り越えたんだよ。
そのときわたしはどう感じてたんだっけ。

そして!
なんと!
ここ4年も5年も放置していたmixiを、
友達のお知らせがあって開いてみた。
アカウント名も、
そのとき登録したメールアドレスが何かも、
もちろんパスワードも、
わからなかったのにいろいろ辿ると開けるもんなんだな。
すごいなー◯

とにかくそれで、
開いてみたら、
あったのよ!
そこに!
公のブログにものせてなかった赤裸々すぎるわたしのかいたもの。

島に移り住んでから、
ひわさの家を終わるまでのこと。
しごとの待ち時間とかにひろい読みしていたら、
なんだかほんとにこみ上げるものがあって、
ざわざわ、
そわそわ、
どきどき。

島での日々は、
ほんとうに命の再生の日々だったな。

mixiは多分そうはいっても開かないので、
読み返したい アノコロノキモチ を、
少しずつ、
少しだけ、
こちらにおひっこししようと思う。

日記というのは、
日々の覚え書きにすぎないけど、
過去のわたしからヒントをもらったり、
過去のわたしから勇気をもらったり、
読み返すと発見があるものがある。

あ、もちろん90%は読み返す価値ゼロのろくでもない日々日記だったりするけどね◯







アノコロノキモチ
~2010・8・20~






ヴィパッサナのこと
(長いです)

ヴィッパサナ瞑想センター
http://www.jp.dhamma.org


ヴィパッサナから帰ってきて、はや一ヶ月。
大体、一周くらいみんなにどうだった~~~?と聞かれました。
なかなか、書くにまでいたらなかったけど、
だんだん、あたしの中で消化されてきたので書きます。


その後、も、
ヴィパッサナ効果ゼロ~~!!
10日間意味なし~~!!
と、周りのみんなに言われてますが… 笑


でも、やはり、あの日々は、確実にあたしの中に大きな変化をもたらしてくれました。
とても貴重な10日間やった。
こころから行ってよかったと思っています。


10日間の沈黙の日々。
10日間も、人としゃべらない・目を合わせない・ジェスチャーも駄目。
そんな日々は、もちろん生まれて初めて。
集団生活の中、最初のうちはストレスで、どうしても周りの人が気になる。
食堂で、順番にご飯をよそうとき、食器を洗うとき、シャワー、洗面、寝るときに電気を消すタイミング。
しゃべれるってすごい。

そしてそんな沈黙の中の瞑想。

毎日のスケジュールはこんな感じ。

[10日間コースの時間割表]

    04:00 am      :     起床

    04:30 am 〜 06:30 am:     ホールまたは自分の部屋で瞑想

    06:30 am 〜 08:00 am:     朝食と休憩

    08:00 am 〜 09:00 am:     ホールにてグループ瞑想

    09:00 am 〜 11:00 am:     ホールまたは自分の部屋で瞑想

    11:00 am 〜 12:00 pm:     昼食

    12:00 pm 〜 01:00 pm:     休憩

    01:00 pm 〜 02:30 pm:     ホールまたは自分の部屋で瞑想

    02:30 pm 〜 03:30 pm:     ホールにてグループ瞑想

    03:30 pm 〜 05:00 pm:     ホールまたは自分の部屋で瞑想

    05:00 pm 〜 06:00 pm:     ティータイム

    06:00 pm 〜 07:00 pm:     ホールにてグループ瞑想

    07:00 pm 〜 08:30 pm:     講話

    08:30 pm 〜 09:00 pm:     ホールにてグループ瞑想

    09:00 pm 〜 09:30 pm:     ホールにて質疑応答

    09:30 pm             :     就寝

    グループ瞑想の時間中は瞑想ホール内に留まらなければなりません。


一日、10時間の瞑想。

計算すると休憩時間も含め1日20時間近く目をつむっています。。笑


コースは、ゴエンカ氏のテープによる指導の下にカリキュラムに沿って行われます。
一日の終わりには1時間半の講話があります。これだけでもとてもいい。
瞑想の詳しい内容は、伝えきれない、そして、きっと伝わらない。
これは多分、体験してみないとわからない。
そして、人によってまったく違う、現れる反応も、感じ方も。
ので、わたしの私のうちに起こった変化のことだけ書きます。


朝起きて、夜寝るまで、瞑想ホールで瞑想。
動かない、目を開けないことを守る努力をします。
自分の部屋に戻る人もいたけど、私は、ほぼホールにとどまって瞑想をしました。
ものすごく、まじめに。

静かに、ただ座る、呼吸を観察する。
この時間がとても気持ちよくて、わたしはすぐに好きになりました。
こころは言うことを聞かず、どんどんいろんな方向に飛び回るけど、
少しずつ、静かになっていく。。

わたしの場合は初日から変な夢、頭痛に見舞われていました。


3日目くらいに、緊張が解けたのか、しゃべらないことのストレスからか、
急に心の中が騒ぎ出し、ぜんぜんシリアスになれない。
なんだか、いろんな、何を見ても笑えてきたり、、
このしゃべらないこととか、ヴィパッサナとか、瞑想とか、あろうことかもうばかばかしくさえ思えてきて、、、
あ~~~、もう、無理無理!!うちなんか所詮凡人・俗物!俗世間から離れれんし~~、悪口も愚痴も言うし~~煩悩ばんざ~い!!
のような、先生たちに覗かれたら大変な言葉たちが頭の中をぐるぐる回る。。
そしてほとんど眠れませんでした。


ほんでも4日目、
いよいよ今日からヴィパッサナ瞑想という日から、
まんまと一気に自分の世界に落ちていくのでした。

ここから、8日目までの瞑想は、本当に本当に、しんどかった。
こころも、体も、痛い。辛い。
息が出来にくくなったり、頭は誰かにもぎ取られてるかのように痛い。
背中から、肩から、首から、どこやかしこが重くて、痛い。
涙がほろほろ出てきます。
悲しいからなのか、ただ単に体が痛いからなのか、もうわからん。
あまりの痛さに脳出血とか??と心配になって2回ほど先生に相談に行きました。

それでも眠ってないのに眠気はなく、足のしびれもなく比較的動かずじっと座っていられる。

これは、あくまであたしの場合。
眠くて仕方ない人、じっと座れない人、人によっていろいろでした。



そしてこころも、また、ひどい。

面白かったのは、記憶にない記憶の浮上。
お父さんも、お母さんもまだ若くて、海にいる。
おぼれるあたし、あわてる両親。
そんな記憶はなかったので作り出したものなのかわからなかった。
けど、後で聞くと、わたしが2歳くらいのときお父さんに声をかけて沖に出たはずが、伝わってなく、母を追いかけたあたしはそのままおぼれたらしい。
無事救出されたけど、その後大喧嘩だったらしい。
そんなことがあったと聞いて驚いた。

そして、ほんとにありとあらゆる、いろんな人が、現れては消えていく。
あたしの場合は、しっかりとリアルな映像で、彼らの言葉でしゃべる。
もちろんそれはあたしの心の中の映像やけど、勝手にしゃべる。
ある人は『もえちゃん!もう全部出しちゃったほうがいいよ!』と言う。
ある人は『そんな頭使って瞑想してどないすんねん』と言う。
ある子どもは『ね~ね~ともえちゃんあそぼうよ~』と言う。
いや!?この人はあたしの人生に影響は与えてないやろう??と思われるような人たち、小・中・高の同級生とか、通りすがりくらいの誰かとか、そんな人も現れ消えていく。
走馬灯のようで、これは面白い体験でした。

そして意外と、キーパーソンだったと思われる父などは、なぜかほとんど出てこない。
そうか、もうあたしの中で消化された人なのか、、と思う反面、もしかしたら、まだこの人が浮かぶほどわたしの心は強くないのかもしれない。

全部、考えたことでなく、浮かんでくること。
浮かんできては消えていく。

時にものすごい幸せを呼び、そして痛みがあり、焦燥感を伴う。
浮かんできた瞬間に、突然涙が流れ出して驚くときもある。

全てが思いがけない。

そして、そのどれにも、反応してはいけない。
その感覚・感情を嫌悪することなく、その感情・感覚に執着することなく。
こころを動かさず、現れ、消えていくのを観察する。
こころに溜まった汚濁は、体の痛み、心の痛みとなって現れ、消えていく。
ここで、反応するとまた新たな汚濁となって返ってくる。
苦しければ苦しいほど、消えていく過去の痛みも大きいのだと信じて、ただ観察する。



とにかく、間の5日間はほんまにほんまにしんどかった。
周りのみんなも、明らかに自分の世界にはまっていく。
みんなの顔には表情もなく、周りに対する意識もなく、自分自身との旅の中にいる。

8日目の午前中、苦しみのピークで、わたしの中はわたしをののしる言葉でいっぱいなのでした。
どんどんどんどん、とどまることなく、自分をののしる言葉が沸いてくる。
『ああもう、そこまで言うことないんちゃうん。。。』と、思わず反応してしまうくらい。
ああ、そりゃあ、こんだけ自分への悪口を溜め込んでたら、自分のことなんか愛せんかったはずじゃなあ。。。
現れては消えていく全ての言葉を観察する。
むしろ、もう、いちいち反応する元気もない。
どんだけ溜め込んでいたのか、、33年間のわたしの汚濁。。。


わたしのこころ・わたしの体・わたしの考え・わたしの・・わたしの・・・

わたしでまったくコントロールできないこのわたし。

本当に、わたしのなどと言えるのだろうか。

じゃあ、わたしの怒り・わたしの喜び・わたしのものと思う全てものに、執着する必要などあるのだろうか。

このことを体験から、実感しだしたのはこのころから。



痛みを伴う数日の後、
思いがけない気づきがある。

わたしの場合。
こころに浮かんだ一冊の本。

そして、少しずつ、楽になっていきました。
この本のなぞは後で。。。


10日目の午前中で、聖なる沈黙が説かれます。
社会に出る一歩前に、この同じコースを受けたみんなと痛みを分かち合う。
時間がきたら、ホールから出ておしゃべりを始めてもいい。
合図とともに、みんなが続々とホールを出て行く。
外からは10日ぶりのにぎやかな声。

わたしは、なんだかもったいなくて、しばらくホールを離れられないでいました。
結局、昼食の鐘の音がするまで。
貴重な貴重な沈黙の日々。
苦しくて、幸福だった沈黙の日々。

最終日、帰る日の早朝。
最後の瞑想の時間。
全てが終わって外に出ると、
朝6時の京都の山は朝もやの中うっすらと明るくなり始めていて、
あんまりもきれいで、入り口でみんながその美しさに立ち止まっていた。

10日間、感じやすくなった心には、それはあんまりきれいな光景で、涙がどんどん流れました。



この瞑想はブッタから伝わる瞑想で、
ブッタがダンマ(生きるうえでの法)を説いてこの瞑想法をすすめて行ったのは、
人々が苦しみから開放されることを願って、この目的ひとつでした。

だから、この瞑想法には宗教色も、オカルトな面もヒーリングも一切なく、むしろ禁じられて、
ただ、ひたすら自分を観察する。

自分のこころの中に蓄積された汚濁(嫌悪や執着などの感情)は更なる嫌悪や執着を生み、そしてそれが苦しみを生む。
どこかで過去の汚濁を手放し、そしてさらなる汚濁を生まない方法を身につける。
これがこの瞑想法。



わたしの場合、33年間培ってきた、物事をややこしくややこしく考える術を、少し紐解くことが出来ました。

それまで、父のせいで、母のせいで、小さいときのあの事件のせいで、あの言葉のせいで、あれのせいこれのせい、と、、
けど、何のことない、やはり全ては自分自身に起因しているのです。


きっかけは、一冊の本。
瞑想中に浮かんだ一冊の本。
わたしは、小学校6年生くらいからその作家さんの本を読み始め、
しかも、何度も何度も繰り返し読んでいる、
感受性が強く、かつ妄想力の豊かな時期。
その本は、ややこしい家族や仲間の関係の中、当たり前のように日常がおくられている、
主人公の女性はそんな関係の中で強く、素敵なのです。
凡人の中流階級家族のわたしなどが読むとセンセーショナルで、強く影響されるにいたったのではないかと、
そして、自分の周りにも、ややこしい関係を求める、ややこしいことがどんなにしんどいことで、普通であることがどんなに奇跡的に幸せなことかも知らずに。
この考えが浮かんだとき、えっ??そんな単純??て思ったけど、
サッカー選手にあこがれて子どもたちがサッカー選手を目指すように、
ある小説にあこがれて少女がややこしい人間関係の中でけなげに生きることを求めると言うのも、ごく、単純でありえることなのだと思う。

そして、小中学生の難しい時期、移ろい行く友達関係の中、本の中に憧れを抱くのは逃げではなく、生きる知恵だったのではないかと思う。
現実と想像を交錯してしまうくらい。


そうして、晴れてあたしは、ややこしい周りの関係に恵まれていく。
もちろん、祖父のこと、父のこと、母のこと、あたしに起こったさまざまなややこしいことの原因があたしにあるわけではない。

でも、あたしのややこしい思考の原因が彼らにあるわけではない。
そう思ったら、そう認めたら、急に心が晴れたのです。

ヴィッパサナであたしの見つけたもの。


同時に、苦しみながら手放した汚濁も大きくて、
誰にもわかってもらえなくても、
やっぱり、わたしのこころの中は、こころのあり方が変わった。

奇跡的に母親とはあれから一回もけんかをしていないし、
いらいらすることもすごい減った。
ややこしく考えることがめんどくさくなった 笑


まさに、ヴィッパサナの思う壺 笑



そう、人生なんて、シンプル♪


食べて、寝て、笑って。

自分を縛り付けないくらいに有意義に仕事して。

自分を追い詰めないくらいに恋をしたり。

自分を傷つけないように生きる。
それは人を傷つけないことにつながる。

苦しみを自分のうちにためないように、今、ここ、自分に気づきながら生きる。

ただそれだけ。



わたしのように、ものすごいややこしく考えがちなタイプで、思考の80%が妄想、、のような人にはとても有意義な瞑想でした。
時々、思い出したように座って瞑想をしてみる。
毎日する、と決めたら、出来ない自分に嫌悪を覚えるかもしれないから決めない 笑
時々は、肩に猫が飛び乗ってきたり、時々はそのまま横になって寝てしまったりですが、
10分でも座って瞑想するとやっぱり気持ちが落ち着きます。


少しでも興味があって、10日間時間の取れる人はぜひ、行ってみてほしい。
生きて、死んでいくことが、とてもシンプルに、そしてありがたいものに感じられると思います。


そんな、長い長いヴィッパサナ手記。
ここまで読んでくださった方はありがとうございます。



be happy!!

35歳11月ブッタガヤで迎えた満月の夜。

あっと言う間に、
気がつくと2年が経っていたこのブログ。
もうなくなっているだろうと思い込んでいて、
開いてみるとまだあったのでびっくりした。
少し、読み返してみるとまたびっくり、
ちゃんと綴っていたんだなあ、わたし。
ちゃんと言葉にしていたんだなあ。

2年間、
何をしていたかというと、
仕事して、
こどもたちと遊んで、
タイにいって、
ベトナムにいってベトナムにいってベトナムにいって、
ああ、ブログがあったんなら、
旅の記憶を記していたらよかったなあ。
そう、合間で大型免許もとった。

それなりに充実して、
日々あっというま、
楽しく過ごしていましたよ。

そして、
なんで、ここにきてブログ!
と思ったかというと、
2年ぶりに展示会をします。

久しぶりに作りたい!という気持ちになって、
そして一緒に開催してくれる仲間がいて、
毎年この時期にギャラリーを使わせてくれる大好きなとよとみ珈琲のマスターがいて、
しあわせやなわたし。

ってことで、
今日はいちにち展示会のDM作りでパソコンの前。
久しぶに開いたwordは、使い方がまったく違って勝手がわからなくて大変ー。
だけど、ステキなのが作りたいんだー。
そうやってるうちにほぼいちにちかかって入稿。
いい仕上がりになったらいいな。

ちくちく と あかり


展示会は12月末。
それまでわくわく楽しんで作ろうと思う。
作ることに向き合うことが久しぶりでうれしい。
あのあたたかい冬の時間が楽しみです。


そうそう、
これまた久しぶりに作るよって言っていた石せんのこと。
これはまたあらためて。

↑このページのトップヘ