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本文と ねこは まったく関係がないのだけど。笑



10月に、2年半こころとからだと生活と、全てをささげてきた、
ささげてきた というと、おおげさなのだけれど…
保養、避難の方の受け入れをするという、わたしの行いが、一旦終わった。

このことを、生活の真ん中にしていた日々、
この日々のことを、ことばにすることなど、とてもとても出来ない。

ものすごい、たくさんの嬉しい出会いと
ものすごい、たくさんの傷つくこと
ものすごい、たくさんのあたらしい発見
ものすごい、たくさんのしあわせ
ものすごい、たくさんの愛
ものすごい、たくさんのうまくいかないこと
ものすごい、たくさんの奢り
ものすごい、たくさんの苛立ち
ものすごい、たくさんの反省
ものすごい、たくさんの笑顔
ものすごい、たくさんの、たくさんのおもい。

けど、最後に残ったのは 悲しみだった。

この2年半、たくさんの悲しみを、
こころの中に蓄積してきたように思う。

もめごとのタネは、
自分の中にある。
だから、もめごとがおこるのは、
自分のこころのありかたのせい。

そう思っていても、
悲しいことは悲しい。

悲しい、わかれを、
本当にたくさん経験して、
家族よりも大事に思っていた家族にさえも、思いが伝わらず、
いったん、全てを終了した。


終了したら、
いままでの、自分の、
あまりにも、
こころをうしなっていた様が、
まじまじと見えてきて、
2年半ぶんの、
こころの澱が、浮かび上がる。


あとに残ったのは、かなしみ。
ほんとうに、かなしみのかたまりが、こころの中にのこってしまった。

それは、わたしが、それだけの人だったのだろうから。


そして、気づくと、
どれだけたくさんの人を巻き込んで、
どれだけたくさんの人の助けを得てきたか。
それなのに、わたしは、どんだけ周りが見えなかったことか。

ありがとう。
いまさらだけれど。

本当に、なんとも未熟なわたしの、
いきおいではじめた行動が、
たくさんの人のこころにとどき、
たくさんの協力を得てきた、
そして、たくさんの思いを寄せてもらいながら、
そして、預かったハハコにも、
ちゃんとこころをこめれなくなっていたり、
なんとも、わたしの、傲慢だったことか。


ひとことでいえば、
一生懸命すぎて、
忙しすぎて、
ココロヲウシナッテイタ。


だけれど、
後悔と、反省と、
今思えばだけれど。


だけれど、無駄だったなんて、ことはなく、
この2年半の日々は、
神様と、わたしのまっすぐなこころ、
からのギフトだったのだと思う。

学んだことが、与えられたことが多すぎて、
消化するにはしばらくかかる。


それでも、
支えてくれる仲間がいること。
ただ、ひたすら感謝しようとおもう。

そんな、秋だったのです。

ありがとうと、ごめんなさいと、
ありがとうと、ごめんなさい。