わたしは怒りっぽいたちなので、怒りについて考えることが多い。
怒りとはなにか、怒りの対象、怒りの生まれる理由、怒りがあって一番傷つくのは誰か、どうやって怒りからこころを守るか。

そのことを突き止めたくて、ありとあらゆることをしてきたと言える。
ヴィパッサナ瞑想もそのひとつ。
わたしの中から生まれる怒りは、全てわたしに責任があって、わたしが怒りを持つ相手には責任のないこと。
わたしのこころの癖、...
持って生まれたものや、生まれてから染み付いてきたこころの癖に、
相手の何かが触れるだけで、彼らの振る舞いは彼らの思うようであっていいんだと、
ここ数年、理解できるようになってきた。
理解出来るものの、習慣にはまだなっていなくて、しばしやはり怒りは生まれる。

だけれど生まれた怒りを鎮めることは、ずいぶんたやすくなってきた。
身体の隅々まで、怒りの所在を調べ上げる。

そして、怒りをぶつけることのほうが、怒りをぶつけられる側になるよりも、何倍かも辛いんだってことが、ここのところよくわかる。
怒りをぶつけてすっきりしたことなんて、今まで一度もないもんだから。

先日、とても大きな怒りのエネルギーを浴びて、
それはわたしをうろたえさせたけど、どう振り返りをしても、ことの発端以上の大きな怒りをうんだのは、
もともとあったわたしに対するちいさな苛立ちが爆発しただけで、
そして、その苛立ちはわたしのもっともニュートラルないつものありかたや、相手との距離感、行動や考え方のマイペースさが、相手の怒りの琴線に触れんだろうなと、こころのそこから納得してしまった。

わたしが苦手な相手なら、わたしはいつも態度にでてしまうので、多分わたしが悪いのだろうけど、
そうではなくて、むしろ親しみを持っていた相手だったので、
ただ、何かがズレるタイミングをわたしが見逃していたんだろうな。
相手の琴線にふれる何かを知らず知らず、わたしは積み重ねてきたのだろうな。
傷つけたのでなければいいなとこころから思う。

人それぞれこころのくせや怒りの理由が違うけど、比較的同じような感覚の人たちとやさしい時間を過ごしてきたわたしには、社会に出ることは、時々少し難しい。
難しくて、いつも立ち止まる。
わからないことがおおいのです。
けど、勉強になるなーと思う。ありがたいことです。

わたしは、ぶつけられた怒りのエネルギーを、
もちろんとても悲しかったけれど、
どう消化すればいいのかわかっているし、
美しいものや、優しい人や、温かい時間、
ありがたいたくさんのものに恵まれている。

同じようなことを繰り返して人生は過ぎていく、
受けとめて、手放す。
受けとめて、手放す。
ことあるごとに、こころの振り幅が、ちいさくなっていったらいいな。

いかりについて10671428_732683500112059_7453482542246222827_n