今日は、にこにこ市にまたかわいい友達が出展しに来てくれた。
5歳、2年生、4年生、6年生が、それぞれに思い思いのものを作って、お店屋さん。
一番ちいさい人は一生懸命作ったものたちを並べて、
『いらったいまてー、ただですー!』と通りがかるお客さんに声をかける。
遠慮してると『なー、これもらってー。ただやねん。』と持って来てくれる。
なんともかわいい。

小学生チームは本気。笑
真剣に値段をつけて、大きな声で声をかける。
『なー、売れ残ったらこれ全部ともえちゃんこうてー。』
と、どっかの誰かさんからも聴いたことのある、こどもらしいやくざ発言をゆうてくる。笑

一日一緒にいたので、ずいぶんと仲良くなって、楽しい時間だった。
ここ数年で、コドモノトモダチがとても増えて楽しいことがいっぱい増えた。


ちょっと前のことだけれど、
実家の近所のおっちゃんが亡くなった。
ちょっと前に病気が分かって、
入院してからは早かった。
あっというまに亡くなってしまった。

お通夜の席で、たくさんのことが思い出され、
懐かしい思い出に感謝の気持ちと、かなしい気持ちが合わさり、たまらなくなった。

おっちゃんは、わたしのはじめてのオトナノトモダチ。
わたしが生まれたときから近所にいて、
誕生を祝ってくれ、
成長を見守り、
はじめて自転車に乗れた時も褒めてくれた。
家族ぐるみでの忘年会や、キャンプに出掛け、
幼いころの楽しい時間をたくさんすごした。
そして、最初にわたしの夢を形にしてくれたオトナ。

設計士だったオッチャンは、
その当時「ペットショップの人になりたい。」と言っていた私の為に、
夢のようなペットショップの設計図を書いてくれた。
トレーシングペーパーという、
薄い透ける紙。
その紙に書いてくれるというだけでどきどき胸が弾んだ。
お城のようなペットショップは、
わたしの希望をそのままに、本当に夢のようだった。

そしてオッチャンは、わたしの為にシルバニアファミリーの大きな家を設計して作ってくれた。
ちいさなちいさな家具も付けて。
だから私はちいさなちいさなお洋服を作ったり、布を壁に張ったりした。
それがわたしの、初めてのお裁縫。

やがて、大きくなって、お互いの家族の在り方も変わり、
オッチャンと顔を合わしても会釈したり声を掛け合うだけになって、
でも、父が家族をやめることにしたと宣言をして家を出たとき、誰よりも怒ってくれたのもオッチャンだった。
あの時わたしは嬉しかったんだ。
味方になってくれたことに。

わたしの最初のオトナノトモダチがオッチャンだったことを思い出した。
オッチャンの好きなことを仕事にするということが、かっこいいと思っていた。
オッチャンの得意技でわたしと遊んでくれることに、あこがれを感じていた。
わたしの最初のオトナノトモダチがあこがれの人やったから、大人っていいなって思ったんだと思う。


コドモノトモダチが増えてきたから余計に思う。
子どもの目に映るわたしがしんどそうやったら、子どもたちは大人ってしんどいと思うだろう。
子どもの目に映るわたしがつまらなそうやったら、子どもたちは大人ってつまらんって思うだろう。
子どもに対して、ごまかしたり適当にかわしたりしてもすぐばれる。
子どもは、自分自身に嘘をついてる大人もすぐ見抜く。

大人らしく接するなんて無理やけど、
子どもと接するときに、ごまかしのないようにと思う。
子どもに対してではなく、自分に対して。



駐車場に残されたオッチャンの車に、まだ少し胸が痛い。
ちょっと早かったんちゃうか?

わたしが結婚したり、こども出来たりしたときに、
父親のように喜んでくれる人、オッチャン以外におらんのにな。
そんな心配、いらんかと思うけどね・・・笑


オッチャンにこころからのありがとうを込めて。